中山道 碓氷峠から横川そして西松井田(2010/05/29)(2)

11:52昔の別荘跡と廃バス そうそうここが、昔の別荘地だったようだ。今はもう、廃屋と廃車が置かれている。いつごろのころなんだろう?
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山中への水路 そして、この水路もいつごろのものなだろう?
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11:57山中坂(飯くい坂) 山中坂は山中茶屋から子持山の山麓を陣馬が原に向かって上がる急坂で、またの名を「飯喰い坂」といい、坂本宿から登ってきた旅人は空腹ではとても上れず、手前の山中茶屋で飯を喰って登ったといいます。飯食坂は、以前人が住んでいた証の様な排水路の残骸に沿った坂道でいや~きつかったねと話す。この辺でご夫婦に出会う。熊鈴代わりにラジオを大きくして歩かれていた。息も切れず凄いなあと感心。僕たちはあ~苦しいと息があがった状態だったからね。鍛えなくちゃ。
今は下りなので息もあがらず楽チンだ。
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11:59また廃車 本当どこからやってきたのか?
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12:00山中学校跡(明治11年) 明治11年と書かれていたが、ここまで山の中で住むわけは?
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12:01道
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12:06入り道くぼ
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12:18くぼ地の道
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12:25栗が原
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12:32またもや廃車
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12:35座頭転がし 座頭転がし坂は、赤土で滑りそうで、そんな名前がついたそうで、今もまた名残が残る。
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12:39少し道らしく
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12:41 はるか下にせせらぎ
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光芒 断崖の下は渓流が流れる。渓流を覆う様に張り出した木々の若葉に一瞬の光が美しい。
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12:45一里塚跡 らしいものはない
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12:45北向観音 南向観音 北向観音、南向観音が立ち並ぶ。比較的新しそうなので南向観音まで登って撮った写真が素敵だ。あ~年代を見るのを忘れた。
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12:48堀切跡 断崖 堀切は豊臣の小田原攻めの際の作戦要所だったらしい。確かにその両側が断崖絶壁だ。人一人通れる幅しかない。
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根っこの向こうはがけ そこを過ぎると木の根っこがオブジェに見える。以前来たときオブジェと思ったのはこの木だろうか?戻ったら比較してみよう
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12:54幻想的
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13:00坂本宿2.5km 熊野神社6.4km
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13:02関所跡
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13:04刎石4軒茶屋跡
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13:07弘法の井戸
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13:09道
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13:12馬頭観音
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13:13覗き 覗きと書かれたのは、木々の間から坂本宿が一望できるからだろう。楽しみにしていたこの風景も霧も晴れて見えた。馬頭観音、石碑群と続く。この岩場の瓦礫の道は急峻かつ危険で事故もあったかも知れない。
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13:15岩の道 
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13:18石像群
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13:18刎石坂 3メートル位の柱状石の壁は板状に剥がれ足元に落ちている。その石をここにきた人々が積んだのであろうー相方さんの背より高い。
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13:21刎石坂まえの急なくだり(のぼり) ここから一気に数百メートル下る。足元は瓦礫で怖い。それでも下りは楽チンだねえ。登りのきつさを忘れて軽々と歩みを進める。
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13:25スミレ
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しゃげ
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不明
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13:43中山道入り口 気なく位に中山道入り口につく。ここで休息。メガネ橋をまねたような感じの休息所で水と甘いもの、ここの所、黒糖を食べている。水も3本持ってでたが僅か一本だけ。肌寒かったからね。ここから坂本宿まで中山道18号線を下る。
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13:48廃線になった信越線の第一トンネル
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13:53北原白秋歌碑うすい嶺の南おもてとなりにけり下りつつ思ふ 春の深きを
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14:01坂本宿  坂本宿は、初めて訪れた時、宿の入り口に置かれた坂本宿と書かれた門と各家に掲げられた屋号に感動したね。と相方さんと話す。埼玉県がずっと何もなかったからね。
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梅干の山崎ストア そうそうここで 梅干の志を戴いた感謝
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14:05古い屋号 今回は、二軒本陣があるのに気が付く。前回来たときは、説明を書いた立て札は置いてなかった様に思う。それと空き家が多い。本陣の一つは残念なことに門から玄関までに雑草がはえ、住んでいないようだ。
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14:06コメやさん
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14:12坂本宿入り口
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お腹がすいてきたと相方さん。相方さんはお腹がすくと低血糖でパワーダウンなので、あのおぎのやの釜飯を楽しみに横川に向かう。横川に向かう途中で80歳は越えたお婆ちゃんにお二人で仲良く良いねえと冷やかされる。